試眠の狐

葉渡 釧羽

 

 

 

仙狐になろうと思っている」

「考え直せ」

 羽が馬鹿な宣言をしてきた時、玉は躊躇いなく切り捨てた。 

 

 

羽と玉は生まれを同じとして、十を三回数えるほど生きていた。妖としてはまだ幼く、獣としては長く生きたといえるだろう。三十という短くはない歳月を共にした玉は羽が世界で一番怠惰な狐であると確信していた。仲間内でも最年長に近いくせに、狩りにいそしむでも子供たちの面倒をみるでもなくただ毎日を寝て過ごしているのである。最初の十年はその怠惰を咎め、次の十年はなんとか羽を働かせようと画策し、ここ十年は諦めていた。

そんな羽が馬鹿なことを宣ってきたのである。玉でなくても切って捨てよう。

 

 

「お前、仙狐になるために何が必要なのか分かっているのか?東岳大帝の娘、泰山娘娘が主催する試験に合格しないといけないんだぞ。お前なんかよりももっとすごい狐が落ちている試験に通る自信があるって言うのか」

「あるわけないだろ、そんなもの」

 羽はむしろ玉を馬鹿にするように反駁した。説得力の欠片もない言葉とは裏腹に、その態度には開き直りと妙な自信で満ちており、玉にはそれが気に障った。

「ならさっさと諦めるんだな。大体今までただひたすら惰眠を貪っていたくせに、どうしていまさら仙狐なんかを目指すんだ」

「それはもちろん、今後千年の間、惰眠を貪るために決まっているだろう。仙狐になって人間どもを上手く騙す術を学べれば、今後千年の間は惰眠を貪ることだってできる。長期的な目線に立つくらいの計画性は私にもあるんだぞ。狙公のサルじゃあるまいし」

「お前にそんなものが備わっていたとは三十年共に過ごしてきて初めて知ったな。まぁ、何かに取り組むこと自体はいいことだ。試験の為に勉強する気はあるんだろう」

「あるわけないだろ、そんなもの」

 自明のこととしてはなった質問に対し、先ほどと一言一句全く同じ、開き直りと妙な自信まで全く同じである言葉で返されて、玉は脱力して危うくこけるところであった。

「まぁ、私の話を最後まで聞き給え。自信がないと言ったのは他の年の試験についてだ。今年の試験に関しては勝算がある」

あまりにも眠りこけすぎていて、とうとうお頭がおかしくなってしまったのだろうか。首を傾げて真剣に悩む玉を前にして、羽は力強く宣言した。ふふん、と鼻を鳴らしてすらいる。

「期待せずにきいていてやるよ」

「おう、話を聞いたら私を褒め称えたくなるからよく聞いておけ。仙狐になるための試験内容が毎年違うことは知っているな?今年の試験内容を知っているか?」

「いや、知らないな」

 どうやら自信の肝は今年の試験内容らしい。羽が合格を見込めるくらいだから、運次第で全員に合格が与えられたりするものだろう。玉はそう当たりをつけ、頭の上にある耳を動かしながら羽の次の言葉を待った。

 続く羽の言葉は玉の予想をはるかに下回るものだった。

「今年の試験は精神集中らしい。試験官の妨害に精神を乱さずにいれば合格できるとさ。つまりバレないように寝れば問題がないだろう。私にピッタリな試験内容だろう!」

「無理だから大人しくやめておけ」

 

 

 試験日当日、仙狐の試験会場に羽はいた。

 勝算を語ると玉は呆れて帰ってしまったが、羽は合格する自信があった。玉が働かせようとしてきたのを避けるために、常に周りにばれないように眠る方法を考えてきたのだ。いくら相手が神や仙人であろうと見破れない自信が羽にはあった。

 あまりにも自信満々な羽の態度に周りにいる狐たちの視線を集めていたが、羽はそれを気にかけていなかった。試験途中で起きてしまっては元も子もないので、ここ三日間は一睡もしていないのだ。周りの視線など気づける余裕はなく、また気に掛ける余裕もなかった。

 

「これから試験を始めます。この試験の主催を務める碧霞元君です」

 羽の眠気が限界に達するかという頃、どこからともなく声が聞こえてきた。碧霞元君、つまり泰山娘娘のものと思われるその声は神々の中で最も優しいという評判に違わない優しい声色だった。

「試験内容はとても簡単です。これからあなた達の集中力を試すために試験をします。途中に襲い来る妨害に対して動揺せず、制限時間を過ごせたら合格となります。試験官はあなた達の先達である仙狐たちが担います。」

 碧霞元君の言葉に合わせて、試験会場にいた狐のうち数匹が人間へと変化した。どうやら試験官は普通の狐と見分けがつくように人間に化けるらしい。

羽は内心で両手を挙げて喜んだ。まず試験官が神や天狐ではなく、仙狐ならば当然前者に比べて監視が甘くなる。さらには人間の姿で監視をするのならば、試験を受ける狐たちのはるか上から眺めることになって必然として寝ているのか精神集中しているのかの判断がつきにくくなる。

「この試験に合格すればあなた達はただの狐である野狐から生員となります。頑張ってください。それでは試験の開始です」

これなら合格は確実だろう。羽はそう確信して碧霞元君の開始の合図とともに目を閉じた。

 

 

 今回の試験も例年の試験に違わず、難易度の高いものだった。制限時間は三日間であり、その間飲まず食わずというだけでも長く生きたとはいえただの狐には辛いものだった。

 さらにそれだけではなく、途中から入った試験官の妨害が試験の過酷さをより辛いものとした。腹を空かした野狐たちを前に試験官たちは鼠を貪り、水を好き放題に飲んだ。さらには笑わすことや怒らすことを画策する試験官もおり、三日間でほとんどの野狐が脱落した・

 そんな中で羽はただひたすらに眠り続けた。

 

 

「これで試験は終わりです。お疲れ様でした」

 試験開始から三日目の夕刻に碧霞元君の声が響き渡った。試験を受けていた狐たちはその声を聞くや否や脱力して、今まで張りつめていた緊張の糸を緩めた。

「今回の試験は他の年のものと比べてもとても厳しいものだったと思います。合格者の方たちを労うために食べ物と水を用意しています。そちらをまず食べてください」

 碧霞元君の言葉を聞いて野狐たちが用意された食べ物と水に飛びつくのを仙狐はほほえましく見ていた。自身が試験に合格したころを思い出して懐かしい気分に浸っていた。

碧霞元君もお姿はお見せになられていないが、きっとほほえましく見守っていらっしゃることだろう。そう思いながら辺りを見渡した時に、野狐が一匹動かないままであることをある試験官は見つけた。

「もしかすると体力の限界で動けないのかもしれません。早く助けてください!」

碧霞元君も同じタイミングで気づいたようで指示が辺りに響き渡る。食事をしていた狐たちがこちらを見る中、発見した仙狐はどうしてもっと早くに気づかなかったのかという焦燥感と後悔を胸に、その狐の元に駆け寄った。

人間に化けた姿のまま、その野狐を抱きかかえると身体はぐったりとしていた。相当弱っていると判断して、とりあえず水を飲ませようと抱きかかえたまま歩き始めたその時、仙狐は抱きかかえた狐の鼻から定期的な鼻息が漏れていることに気が付いた。

よくよく観察してみると目は閉じており、呼吸の度に鼻息が漏れている。意識はないが、同族の目から見ると体調も悪そうには思えない。

「もしかしてただ寝ているだけ?」

 狐を抱きかかえた仙狐の呟きは見守っていた仙狐や合格した狐たち、そして碧霞元君の元に届いた。

 動かなかった狐は羽であった。

 試験開始と同時に寝た羽は、試験前の三日間寝ていなかったということもあり、碧霞元君の試験終了の合図にも気づかず眠りこけていたのだ。

「碧霞元君、どうすればよろしいですか」

 羽を抱きかかえた仙狐は空を仰いで問いかけた。腕の中ではまだ羽が寝息を立てている。

「仙狐への昇格がかかっている試験の中で、寝ることができるという度胸と試験内容に合わせた対策を取ってきた点は評価しましょう」

 少し長い沈黙ののちに碧霞元君からの沙汰が試験会場に響き渡った。仙狐や合格した狐たちが様々な反応を見せる中、碧霞元君は「しかし」と言葉を継いだ。

「試験内容には沿っていますが、この試験の要旨は精神集中を試すためのものでした。よってこの狐は不合格とします。試験会場から放り出しなさい」

仙狐に試験会場から放り出される時も羽は寝ていたままだった。羽が目覚めて状況を把握するのはさらに二日後のことである。

 

 

 

 羽のこの顛末は狐や仙人、神々にすら伝わって彼らの間では度胸のある奇策を「試眠の狐」というようになったとか、なってないとか言われている。