蛇と女の子

ウラハ

 

 

 

「ぼく手術することになったんだ!目が見えるようになるんだよ!!」

 

あしたはサロくんの手術の日。

生まれてからずっと10年間、ずっと無かった視力を取り戻すというのはどんな気分なんだろう。きっと、見えなかった分とてつもなく大きな期待に胸を膨らましてるに違いない。

だから今の、

「よかったね!わたしもうれしいよ…!」

と言った私の声が震えていたのも気づかれていないはず。

「ん、どうしたの?」

とサロくんが私の顔を覗き込むように顔を向けてきた。

「ううん、なんでもない。今日は月が出てて夜なのにあかるいなあって」

「そうなんだ!!お月さま早く僕も    見てみたいな。丸いものが宙にういてるんでしょ」

そう言いながらサロくんは、右手に持った杖をコツコツと鳴らしながら笑った。
 その顔をみて、ああ、散歩に誘ってよかった。と思った。

病院の周りは人通りも多いから道も踏み固められていて、普段よりサロくんも歩きやすそうだし。

 

「ねえ、なんで今まで来てくれなかったの??ぼく、病院にお見舞い来てくれるの、ずっと待ってたのに」
「そっか、ごめんね待っててくれたのに」

 

それはね、これ以上思い出をつくると、今みたいに声を抑えることができなくなって、悲しい気持ちになっているのを君に気づかれちゃうから。


 

 

私が“友達”という言葉を知ったのは五歳の時。私の住んでいる廃墟には、元々住んでいたニンゲンが使っていたものもそのまま残されていた。そこにあった絵本では、色んな動物たちが遊んでいる姿が描かれていた。だけど私にはそんな相手はいない。蛇の髪を持つゴルゴン族の私は、同種以外の生き物と目が合うと相手を石に変えてしまう。あるとても寒い冬、森の食べ物がなくなって、両親はニンゲンの村に食料を分けてもらいに行ったっきり帰ってこない。それからは、私はずっと一人ぼっちだった。森の誰も近づかない。

その日も、私は早足で廃墟から少し離れた泉のほとりに向かっていた。私はほかの生き物の大半が眠っている夜にしか外には出ない。うっかり目が合って石に変えてしまうと、その仲間たちに襲われてしまう。「私たちゴルゴンは、その報復として殺され、数を減らしてきたの」小さいころお母さんはよく言っていた。「だからね、あなたにはどんなに日陰でもいいから生き抜いてほしいの。いつかきっとあなたも堂々とお日様の下を歩ける日がくるから」

 

泉につくと、桶に水を汲む。この一杯でできるだけ長く生活しないといけない。そう何度も出歩けないから。桶の中の水は夜の空を映して真っ黒で、ほのかに照らす星明りを反射して光っていた。森を抜けるとそこが今私の住んでいる廃墟だ。

いつものように桶に入った水を貯水用に使っている石造りの棺桶に移しかえ、何気なくあたりを見回すと、一人のニンゲンがいた。廃墟の入り口に、せこけた小さい男の子が倒れこんでいる。私は、一度だけこういう子供の人間は見たことがあった。「ボウケンカ」という呼ばれる人間たちが時々この廃墟近くの森に来るけど、その中に。一目見ただけで、その子がすごく愛されているのが分かった。その子が笑うと、周りのニンゲンたちはすごく幸せそうな顔をしていたから。

でも、この子はそうじゃない。明らかに弱っていた。どうしよう。ゴルゴンの私は人肉は食べないけれど、この森には人間を食う魔物だっているとお父さんも言っていた。

「う、ここは……」
しまった。と思った。またこのニンゲンも石に変えちゃう。慌てて顔を逸らそうとしたけれど、もう間に合わない。それなのに、

「そこに誰かいる、の?」

予想とは違って、彼は柔らかい肉のままだった。今まで一度もそんなことは無かったのに。暗くて見えなかったのかな。確かには夜だし暗いけれど、今日は星もあるし見えないなんてことは無いはず。もしかして、

「……ねえ、あなた目が見えないの?」

その子は勢いよくこちらに真っ直ぐ顔を向けてきた。
「うん、目に木の破片が刺さっちゃってさー」

「えっ」

「それで今日は森に来たんだけど、なぜかおじさんたちとはぐれちゃって」

この子は捨てられたんだ、と分かった。森でも体が生まれつき不自由だったりすると親に追い出され、そのまま野垂れ死にする。ニンゲンだっておんなじなんだろうきっと。

「ねえ、名前はなんていうの?俺はサロ」

「私は、」

そこで初めて、私は名乗った。お母さんが、いつかお友達ができた時によんでもらえるようにって、つけてくれた名前。

 

「ねえ、いままで仲良くしてくれてありがとね」

私は、初めてサロくんと出会ったときのことを思い出していた。あれから人間の村に帰って、明日が視力回復の手術の日だと知って、思わず会いに来ちゃったけど来てよかった。もう誰にも名前を呼ばれないとしても、生きていける。 

 

 

今、彼女の目から流れているのが涙だと教えてくれるひとは誰もいない。