新型裁判

青井  

 

 

 

「異議あり!感染症流行初期時点で原告人に交際相手は存在していません。交際相手との時間について賠償は認められないと考えます」

「裁判長、大学生において二年生、三年生になってから交際を開始することは十分にあり得ます。確かに感染症流行初期の時点で原告人に交際相手はいませんでしたが、その後に可能性はありました」

「被告代理人の異議を却下します」

 

ここは法廷。僕は原告人。傍聴席は一席ずつ間を空けてこの裁判の行方を見守る大学生たちによって埋まっている。

被告人席にはシャーレが一つ。そう、この裁判の被告人はここ数年世界を支配している感染症のウイルスなのだ。

僕がこの裁判を起こそうと決意したきっかけはつい先日放送されたテレビニュースだった。

 

『マジぃ、まさかここまでのことになるとは思ってなかったっていうかぁ、チョベリグって感じwwww?まぁ人間の皆さんにとっては激おこぷんぷん丸ってやつかもしんないですけどwwww』(原文ママ)

 

記者の質問に対するこのウイルスの対応に世間は荒れに荒れた。ただでさえ様々なことに耐え、疑心暗鬼に震え、あまつさえ人間同士で魔女狩りのようなことも起こる日々に皆心が荒んでいたのだ。そんな時になんだ、その態度は。しかもどうしてちょっと古いタイプのギャル語なんだ。仮にも新型とか冠してる奴が死語使うな。

もはやそういうことじゃないだろうというところにまで文句が飛んだ。斯く言う僕も例外ではなかった。僕は激怒し、必ずこの邪知暴虐の限りを尽くした挙句、ウイルス・菌界で一目置かれ富と名声を恣にしているらしい病原体に一矢報いてやらねばならぬと決意した。

 そんなわけで僕はいま、こうして原告人席に座っている。

「勿論、原告人が被った損失は交際相手を作る機会、その場合に得られたであろう心の安寧だけではありません。当該期間中に開催された展示会やライブ、イベント、公開された映画について体験する機会が何度も消失しています。これは、被告人による感染症の影響で人生経験を積む機会や勉強の機会が消失したと言えます。この損害に対する賠償はいかがお考えですか」

この裁判の論点はただ一つ。感染症の拡大によって原告人、つまり僕が被った損害に被告人であるウイルスはいくらの賠償金を払う必要があるか、または払わなくてもよいか。ちなみに要求金額は五千兆円である。

「原告人は当該期間内にも映画に行った記録があります。また、その際街を歩き、雑貨店や服屋、喫茶店などに立ち寄っていることも分かっています。このことから原告人は感染症流行前と同様に文化を楽しんでいると見受けられますが?」

「当該期間に二度ありましたが、出来るだけ外出の回数を減らすために見たい作品を減らし、移動する距離も短くしています。その他に食料品の買い物と通学以外の外出記録はありません」

 法廷内の人間は全員防護服を着用している。被告人(新型ウイルス)が出廷しているためである。それなら抑々そいつを出廷させなければいいのでは?と思う。何よりちょくちょく聞こえてくる声がうるさい。

「また、感染症の拡大によってアルバイト先が休業し、当該期間の収入が著しく減少しています。原告人は奨学金とアルバイトの収入によって就学・生活しており、収入の大幅な減少は生活に直結します。精神的な問題だけでなく、実質的な損害も被っているのです!」

 原告人席に座っているとはいっても、僕にすることはない。なぜかもってきたポケット六法(講義の教科書として購入したものの放置していたものだ)を目の前にしょぼんと座りながら、偶に憎しみと怒りを込めた目をシャーレに向けるなどしている。

 傍聴席も似たようなものだった。恐らく皆初めての裁判傍聴でどのようにすればいいのか分からなくなった結果、ポケット六法とかなんだか分厚い本とかを持ってきて膝の上に置いて、僕の代理人がする主張にそうだそうだ!と合いの手を入れたりしていた。

「確かに、原告代理人の言う通り、原告人が入学前に想定していたような講義や経験を受けられなかったことは認めましょう。しかし、原告人は感染症流行前から単位をまともに取れていません!」

「裁判長!今それは関係ありません!」

「いえ、例え感染症が流行してなかろうが原告人は講義を真面目に受講していた可能性は低いと思われます。よって、通常通りの講義が受けられなかった損害について賠償する必要はないと思われます!」

喧々諤々。

怒鳴り合う代理人二人。笑いながら何事かを言っているギャル病原体。お前がちゃんと授業に出てたら!と今にも柵を越えそうな傍聴人たち。静かに!と叫ぶ裁判官。

法廷は混沌と化していた。

 

 

 

ピピピッピピピッピピピッ

スマホのアラームが鳴る。画面を開く。

2019年10月1日。

今日から秋学期が始まる。

「……なんか意味わからん夢見たな」

ウイルスがギャルで、喋って、訴えられてて……。いや、そもそも。

「世界レベルの感染症ってどんなだよ」

夢にありがちの規模デカすぎ良く分からん設定にしても意味わからんな。

持ち上げたスマホを枕元に放り投げてもう一度布団に潜り込む。

「授業、どうしよっかな」

どうせ履修期間だし、ガイダンスとかだしな。出席もないだろうし、行かんくても問題ないだろ。

そう思って二度寝の態勢に入る。

 

『原告人は、感染症の流行によって友人と会うことや講義を受ける事が出来なくなったのです!』

 

ふ、と夢の中で原告代理人が言った言葉を思い出した。いや、ただの夢だし。関係ないし。

「……」

 

潜り直した布団の中からもぞもぞと這い出す。ふらふらと洗面所に向かいながら、まぁ後期からはもうちょっとちゃんと授業を受けてみよう、と思った。