モラトリアム大学生 スパーク

 

<あらすじ>だらだらと大学生活を趣味に生き、留年すれすれで焦り始める香菜。そんな中出会った文芸サークル、モラトリアムへの入部をきっかけに香菜の生活環境は大きく変わり始める。果たして彼女は無事充実した大学生活を送り、みんなと一緒に卒業することができるのか。

 

 

 「香菜、前期十単位も落としてたん?逆に尊敬するわ」

ライブの帰りの電車の中、遥がゲラゲラ笑いながらいつものようにバカにしてくる。

「遥だって同じようなもんでしょ、前期だって私より取れてなかったじゃん」

「私は今回四単位しか落とさなかったんだからね」

「じぇじぇじぇ。しょっちゅう学校サボってるくせに、もっと落としてるかと思った。」

遥のくせに。少し焦る。

「私は今後フル単の予定だから。余裕やし」

とか言ってみたもののどうしような。せっかくの大学生活を勉強に費やすなんてもったいない。今日だって六代目のライブの余韻に浸りながら帰宅したかったのに、現実に戻さないでほしい。でもやるしかないよな、経済的に留年だけは絶対に避けなければいけないのだ。

「さっきからなんて顔してんの」

と遥が呆れた顔して話しかけてくる。

「いやさ、いつの間に遙はそんな改心しちゃったんだと思って」

「私はあんたとは違ってしっかりちゃっかりしてんだからね。といっても、部活の子たちからたくさん情報をもらってやっていけてるだけだけどね」

それはせこい。でもそうか、友だちを作って助けてもらえばいい。いや私にそんな手助けしてもらえるような人も作ってる時間もないよ。どこでもいいから部活でもサークルでも入って作っておくべきだったのか。今さら遅いけど。もうすでに二回生になっている。

「あー、どこか所属しておけばよかったな」

課外活動にすら自分の時間を取られたくなくて何も入らなかった。音楽と漫画に全ての時間を捧げるつもりだったが、勉強に時間を取られるくらいならかえって損だな。

「じゃあモラトリアムはどう?最近できた文芸サークルみたいで、私も昨日知ったんだけど」

遥がふと提案してくる。

「ここだったら何回生でも部員募集中って書いてあるし、モラトリアムってのは年齢では大人の仲間入りをするべき時に達していながら、精神的にはまだ自己形成の途上にあり、大人社会に同化できずにいる人間って意味らしいし、香菜にぴったりやん!」

「文芸サークルかあ、小説書いたり読書したりしてるんだよね。漫画は大好きだから自分もストーリー制作はしてみたいって思ってたんだよね、気になるかも」

そうと決まればさっそく見学だ、なんて楽しそうに言う。

 

 そんなこんなで翌日、さっそく私は部室へ見学に来ていた。ちょっぴり緊張しつつ、部屋の後ろからそっと中を覗き込む。十人弱ほど人がいた。と、近くにいた人が私の存在に気付く。

「あの、文芸サークルの方でしたか?」

ほんわかした可愛らしい子が話しかけてくれる。

「えっと……違うんですが、少し気になってて見学に来てみました。二回生の安田香菜っていいます」

私はアウェイな気分でぎこちない喋り方になりつつ返す。

「そうなんだ!私も同じ二回生の優美っていうの。あ、今はちょうど副部長さんがいるよ、ほら」

と話している途中、先ほどまで前のほうで談笑していた人が近寄ってきていた。その副部長らしき人はそばへ来るなりにっこりきれいな笑顔で口を開く。

「もしかして新入部員!?モラトリアムに入ってくれるんだ、ありがとう!」と、とても嬉しそうな口調で言う。相当テンション高めの方のようだ。いや待て、まだ入るなんて一言も言ってないよな。そんな反論を言う隙もなく、そのままの勢いで続ける。

「じゃあ入部祝いに、はい!入部届とさっそく初回の課題。じゃあ初めはテーマ自由に小説を書いてもらおうかな。期限は月末までに」

とだけ言ってスッと紙を差し出され、すぐにスタスタと元の場所へ戻って行ってしまった。急な展開に頭が混乱する。優美ちゃんはただ横で苦笑いだ。でもここまできたらやってみよう、楽しそうな雰囲気だったし。少し頑張ってみよう。こうして私は文芸サークルへの入部を決めたのだった。

 

 かれこれ一時間、液晶画面とにらめっこ状態である。

「まだ一枚も進んでないよ?何やってたのよ」

優美の友だちで同じ部員でもある彩花がトゲのついた口調で言う。

「それ、期限あと一週間もないんじゃない?」

頑張ろうと意気込んで入部してから数週間立つ。その間にパソコンと何度も向き合ってはきた。今日も一生懸命小説を書こうとしているところに、優美と彩花がやってきた。

「頑張って書こうとはしてるんだよ。でもなんか違うなってなって書いては消してを繰り返しちゃうんだよね」

すこしふてくれつつ反論する。

「まだ香菜は始めたばかりなんだし、最初はみんなそんなもんだよ」

とすかさずフォローを入れてくれる優美の優しさがじーんと染みる。

「てかもう授業始まるから行こ」

うわ、ほんとだもうこんな時間か。結局今日も全然進まない。

 

 そんなこんなでもう期限の前日まで来てしまった。隣にはいつものように優美がついてくれている。優美もパソコンでカタカタと、何か作業しているようだ。

「何を書いてるん?」

「これは香菜以外の人がやってる課題だよ」

と手を休めることなく答える。

「なんでそんなスムーズに手が進むの」

「そんな固く考える必要ないよ。慣れないうちは香菜の好きなように書けばいいから」

優美のそんな優しい声だけで救われた気持ちになる。そうだ、まずはすぐ消す癖をやめよう。思ったように自由に書く。あれ、意外と筆が進む。なんか今ならいけるかも。

「ありがとう!」

ちょっと楽しくなってきた。

 

 苦労しながらなんとか作品を仕上げた。3徹した気分だ。副部長へ提出に行く。

「お、できたんだ!じゃあこれはさっそく部誌に乗せることにするよ。二週間後には出てるはずだから楽しみにね。ところでペンネーム書かれてないけど、どうする?」

ペンネームか……。考えておけって言われてたっけどうしようか、と考え始めるところでまたいつもの勢いで勝手に続ける。

「名前は何ていうんだっけ?」

「安田香菜です」

「香菜ちゃんかー。じゃあ名前略してYDKでいいね!」

とまた半ば強制的に決められた。まあなんでもいいかと諦める。

 

 そうして二週間後には本当に部誌が発行されていた。もちろん自分の作品もある。

「おお、小説っぽくできてる」

なぜだかわからないが自分の中で感動が起きた。

「ちゃんと完成できてよかったね。一生懸命頑張って書いてたもんね」

優美もにこにこと嬉しそうに褒めてくれる。達成感を感じながら自分の出来上がった作品を読んでいたが、突然それを男に取り上げられる。その男はジッと小説を読み始め、一ページも読んでないであろうところで突然口を開く。

「なんだこれ、読めたもんじゃないな」

それだけを吐き捨ててどこか去って行った。

「はい?いきなりあの人なんなんだ、失礼な」

「見たことない?あれが部長だよ。確かに口調は悪いかもしれないけど、すごくできる人だから。」

「なんであんな人が部長なんか任されてるの、意味わかんない」

声のトーンがだんだん下がる。

「そんな気にすることないよ、ちょっと神経質で真面目すぎる人だからね。でも香菜も香菜なりに頑張ってたの私は知ってるし」

優美の優しいフォローさえ今は耳に入ってこない。よく知りもしない人に言われるのはカチンとくる。絶対見返してやる。

 

 闘志を燃やすが、やはり書き方がわからない。また次の課題と向き合っているところだ。一人悶々としてると

「どうした?進んでるかい?」

突然副部長が入ってきた。

「いやあ、主人公がぶーんと行ってべーんとなってぽぽぽぽーんとなった話を書きたいとは思ってるんですが、どうも文字に起こすのが苦手で」

「なるほどね、じゃあ好きな作家とか目指してる人はいるの?」

そういえばしっかりした本なんてまともに読んだことはなかった。でも、

「部長に負けたくない」

「おお、頑張れ頑張れ。ならこれなんか参加したら?再来週に近くでセミナー開かれるみたいだ。部長はいろいろなとこ参加してるみたいだし、一緒に勉強になるんじゃないか」

あれ、いつの間にか部長の名を口にしていた自分に驚いた。セミナーかあ、上手くなるなら、行ってみようじゃないか。

 

 うん、前より納得できる文章が書けてる気がする。先週きっちりセミナーには参加した。周りにはいかにもというようなおじさんやら、全くこの道に関係なさそうなお姉さんとか様々な人がいて緊張したが、話は面白いしためになった。そういえば部長はなかなか見当たらず、帰りになってようやく遠目に見つけたくらいだ。そんなことはどうでもいいが、本当にいろいろ参加しているんだな。話を聞いて気分転換になったからか、すいすいと進んでる。あっという間に創り上げた。すぐに副部長に提出に行く。

「お、まともに書けてるじゃん!これなら読める」

「それって、前回は見るに堪えないほどのレベルだったんでしょうか……」

「ははは、成長してるってことだよ」

私は褒められてるのかどうなのか、でも少し気持ち良くなった。もっと上手く書けるようになりたくなった。

 

 あれからたくさんの本を読んだ。いろいろなセミナーにも参加して着々と腕を上げた。もちろん小説も書きまくっている。

「いっつも部室に入り浸ってるね。ちゃんと授業は出席できてんの?この時間も何か出てなかった?」

優美と仲良しちゃんの彩花だ、心配してくれるなんて優しいな。

「大丈夫だよ。優美が私の分まで受けてくれてるよ。その分私は作業頑張ってるからね。そういえば2限の授業も出るの忘れてたわ。ノート見せてー」

はぁ、と呆れながらもさっと出してくれる彩花はツンデレ確定。

「ありがとう、助かる。代わりに私の最新作見せてあげるよ」

謎の上から目線が出る。でもこの作品、そこそこ上出来だと思うんだよね。

「へえ、すごいじゃん。こことかめっちゃおもろいね。仮面サイダーがソーダを飲んで変身だなんて。HYAHYAHYA」

「そうなんだよ、ツボる!HYAHYAHYAHYA」

こんなにいい友だちができて、私の精神も成績も安泰だ。文芸サークルを勧めてくれた遙にちゃんと報告と感謝を伝えなければ。私だってやればできる、留年なんかするわけないって。

 

 気づけば3年の春。新歓の季節。先月末ちょうど新歓用に配る部誌が完成し、絶賛配布中である。

「先輩の書く小説がとても魅力的で、入部したくなりました!」

なんてことを言ってくれる天使のようにかわいい後輩も現れ、心が浮き立つ。最近は確かに周りの評判も上がった。褒めてくれる人がたくさんいて嬉しい。優美に関しては

「こんなに鳥肌立つ作品に出会ったことないよ」

なんて言葉までかけてくれる。応援してくれている人がいると、さらに頑張りたくなる。さて、次の目標は夏にある執筆コンクール。超大作をじっくり作っていくつもりだ。私は日々研究した。いろいろな分野の本を読み漁った。本が友だちと言えるくらいに。執筆にも慣れてきて、自分の思うように表現できていると思う。サクサクと作品は書き上げていって、それでも何度も何度も推敲を重ね、期限ギリギリに満足の得る作品は完成した。

 

 そして本当に、コンクールでは部長に勝ってしまった。私のほうが若干評価が上のようで、優秀作品にも選ばれていた。ついこの間の私なら考えられないような結果に、自分でも驚いてる。純粋に嬉しい、こんな気持ちが味わえるなんて幸せだ。これからもこの調子で、私ならもっともっと上を目指せる気がする。あと自分に足りないものってなんなのだろう。私の作品をよく知ってる上で執筆に詳しい人にアドバイスとかもらえないかな。あ、あの人なら。

「部長、私がもっと腕を極めるためには何を直したらいいでしょう」

「いきなりなんで俺に?もはや聞く相手を間違ってるんじゃないか。まあ、しいて言うならこの文とか、こういう風に組み替えたりこの技法で表現したほうが読みやすくなるんじゃないか?」

って、部長も何気私の作品を読んでくれてるんじゃん。笑みがこぼれる。

「なんで笑ってんの?気味悪い」

「いえー、ありがとうございます!」

未だに口使いにはひっかかるが、何はともあれ成長してるんだと実感した。しかしサークル活動を通して私は技術だけを身につけたわけじゃなかった。まず時間の管理が正しくできるようになった。少しでも執筆に時間を割けるようにと、だらだらと無意味な過ごし方はなくなり、密度の濃い日々を過ごしている。サークルも、活動自体楽しいのは当然だけれど、それを通していい仲間にもたくさん出会えて、毎日がとても充実している。私なんかにも取り柄ができて自信もつく。本当に最高の居場所だ。

 

 すっかり私は執筆に、そして文芸サークルにハマってしまった。毎日授業そっちのけで熱心に執筆に取り組んだ。寝る間も惜しんで一生懸命やっていた。

 気づいたら留年していた。