メモ書きの未来

葉渡釧羽

 

 

 朝、目覚ましで起きて洗面所で顔を洗う。

鏡に映った自分の顔を見て、朝から憂鬱な気分に襲われる。

食卓へと向かうとそこには鏡で見た自分の顔とそっくりな妹が座っていた。私は内心ため息をつく。

「おはよう、冬花!」

 私と同じ顔をした妹が挨拶をしてくる。毎日同じような挨拶だ。私はそれを無視する。

「冬花!おはようくらい言いなさい‼」

 台所にいる母親から説教が飛んでくる。私にはその次の母親の言葉が一言一句違わず予測できる。

「雪奈を見習いなさい!」

 予想通りの言葉に煩いと感じながら無言を貫く。父親の「まぁまぁ、反抗期なんだよ」という半笑いの声が耳障りだった。

 

 私と雪奈は生まれた時から比べられてきた。そんなことは兄弟姉妹なら当たり前のことだし、双子ならなおさらだ。珍しいことでもない。

 勉強ができる方とできない方だの、運動ができる方とできない方だの、器量がいい方と悪い方など、数え上げたらきりがない。その全ての比較でいい方が雪奈で、悪い方が私だった。何をしても出来が悪い妹と出来が良い妹。

 そんな私達の関係は今も変わらない。

 

 学校はできるだけ目立たないようにしてやり過ごす。友達を作っても妹の話になってばかりだったので、自然と人付き合いは避けるようになった。昼はお弁当を教室で一人食べて図書室を目指す。

 私達の学校では図書室を利用する人は極端に少ない。私以外に誰もいないこともある。私は静かな場所だしからよく利用している。

 ただ今日の図書室はいつもとは様子が違った。図書室の利用者は入って見渡す限り、私一人。これはよくあることだからいつも通り。だけどいつも静寂な図書室の中をカタカタと、キーボードを叩く音が響いていた。

 その音はカウンターから響いていた。カウンターに目を向けると、一人の男性が座っていた。新しい司書の先生だろう。前の先生が産前休暇に入るという話を以前していたから、私はそう当たりを付ける。

 彼は図書室に備え付けられている貸し出し用のパソコンではなく、ノートパソコンをカウンターに広げて、キーボードの上で指を躍らせていた。まるでピアノでも弾いているかのように軽やかに動く彼の指先を私は思わず見つめていた。

 どれくらいそうして彼を見つめていただろうか。どうやらひと段落ついた彼が顔を上げて、私と目が合った。

「あ、ごめんね。うるさくして」

 彼はノートパソコンを畳んで、カバンにしまいながらそう言った。私が彼を見ていたことも気にしていないように感じた。

「……何していたんですか?」

 気づけば私は彼に問いかけており、そんな私に自分で驚いていた。ぶっきらぼうではなかったか心配になる。

「小説を書いていたんだよ。真面目に仕事をしようと思ってはいたけど、誰も来ないようで暇だったから」

 彼は気分を害した様子もなく答えてくれた。私はそのことに内心胸をなでおろす。さっさと会話を切り上げようかとも思ったが、この人の話がもっと聞きたかった。

「小説家なんですが?」

「いや、志望名だけさ。賞とかにも応募しているけど箸にも棒にも掛からない」

 彼は自嘲したような笑みを浮かべる。その笑みに親近感を覚える。

 彼から聞き出したことによると、山上雅弘というらしく、バイトをしながら小説の賞に応募していたが、生活が困窮したためこの学校の募集に飛びついたのだという。

「小説を書くってそんなに楽しいですか?」

 思わず私の口から疑問がこぼれる。呟いてからハッとしたが、口をついて出た言葉は取り消せない。彼を見ると、困ったような笑みを浮かべていた。

「もちろん楽しいけど、そんなにって聞かれたら答えに詰まるな」

 今までの会話では出てこなかった、彼の困ったような答えは意外なものだった。

「……なら、なんで生活を削ってまで小説を書いてるんですか?」

 先ほどなぜ彼がキーボードを叩いている姿に私は魅せられたのか。私はどうしてもそれが知りたかった。

 彼はしばらく沈黙した。決して重苦しい沈黙ではなかったが、私はなぜかこの沈黙を破手はいけないと感じ、身じろぎ一つ取れなくなった。

「君、小説を書いてごらんよ。今の君に言ってあんまり理解しにくいだろうから」

 沈黙は二分くらい続いただろうか。彼は口を開いて、そう言い放った。

 小説なんて書いたことないんですけど、と抗弁しようとした時、予鈴が鳴った。山上先生は私を追い出し、別れ際に小説ができたら教えて、とだけ言って職員室の方へと戻っていってしまった。

 私は午後の授業にはまったく集中できず、小説を書くということだけ考えていた。

 

 いつもより少し早く夕食を終えて、自室へと戻る。いつものように勉強をするのではなく、スマホのメモ帳を開く。しばらくそこで指を止めたが、少ししてから指を動かしだす。

『順位を決めるということが苦手だ。』

 このたった一文を書くのに十分くらいかかってしまった。書き始めたのは、もちろん小説だ。午後の授業でなんとなく考えた話。陸上部の男子が周りにコンプレックスを抱きながらも頑張っていく。それをどう言葉にするかを考えながらたどたどしく文字を打っていく。

 指先は山上先生のように踊るようには動いてくれず、むしろスマホ使い立ての頃のようにゆっくりだ。小説を書くという行為は確かに楽しくなく、むしろ考えることが多く重労働だ。しかし、書き進めるにつれてだんだんと楽になってきている気がした。

 結局私は徹夜で小説を書き進めた。

 

 小説を書いてきたと私が言ったら、山上先生はかなり驚いたような顔をしていた。流石に言った次の日に持ってくるということは想像していなかったらしい。

 私がスマホを差し出すと、彼は目の前で真剣にそれを読み始めた。正直に言って、目の前で読まれるのはかなり恥ずかしい。誤字も脱字もかなり多いと思うし、国語の教科書みたいな分かりやすい表現なんてできなかった。

 私は逃げ出したくなる衝動を抑えながら、私の書いた小説を読む彼の姿を眺める。その表情はとても真剣なもので、そんな顔で読まれたらこちらがこそばゆくなってくる。そんな居心地を味わいながら昼休みの半分が経過した。彼はやっと顔を上げて私を見るとこういった。

「面白かったよ。この主人公好きだな」

 彼の言葉に自分でも思いがけないほどの嬉しさを感じた。嬉しいという言葉よりも主人公が好きだという言葉の方が嬉しかった、それが何故かと考えて、この主人公に自分を投影していたことに私は気が付く。周りにコンプレックスを抱く主人公と妹に劣等感を感じる私。違うのはそれでも頑張るのか、頑張らないかという違い。

「これ、私の理想なんだ……。恥ずかしい」

「恥ずかしくなんかないさ」

 思わず私の口から漏れた呟きに、彼はそう答える。

「なんで小説を書くのかって質問だったね。それはもちろん楽しいからだけど、それだけじゃない。小説なら何でもできるからさ。未来の話を書くことも、現実とは違う世界を書くことも、動物たちに言葉を喋らせることも――もちろん、自分の理想を書くことも」

 だから小説を書くことは楽しいし、やめられないんだと彼は言って、言葉を続けた。

「無意識的にでも頑張る自分が理想だと気づいてるだ。今からでも頑張るのは遅くはないんじゃないかな?」

 

 そんな彼の言葉を聞きながら、私は自分の未来がスマホのメモ帳の中に広がっているように感じた。