バンド

竹内裕忠

 

 

 

「ああ、いいですよ。」

飲み会の喧騒にかき消されぬよう、やや声を張り上げながら上川は依頼に応えた。新しいバンド結成の依頼である。

「まじ!?じゃあまた何やるかメールで送るわ。」

依頼主である先輩と上川の間には明らかなテンションの差があった。理由は単純明快、上川が引き受けてきたバンドはほとんど、彼の趣味に合わなかったからだ。コピーするバンド名を知らない時点で、また性に合わない音楽をやらされるのかという半ば諦めにも似た感情が、彼の中に沸いた。しかし断らないわけにはいかない。入部してはや半年、定期ライブや合宿に欠かさず参加してきた彼にとって、軽音部での活動は自身のアイデンティティの大部分を占めていた。軽音部の活動が嫌いではない。唯一の不満は、好きな音楽がやりにくいだけだった。好きなジャンルやアーティストについて楽しそうに語り合う部員達を尻目に、彼は早々と宴会場を後にした。後日、先輩からいくつかの演奏曲とベースの楽譜が送られてきた。早速リンクをタップし、ベースラインを追ってみる。

爽やかな男性ボーカルとシンセサイザーのブラスが目立つポップな邦ロックという印象だ。歌詞については恋愛について歌っているようだった。一通り聞き終え、ベースラインをある程度把握した後、この曲は想像以上に難しいことが分かってきた。曲全体は悪くはないが、上川の担当するベースパートはすさまじく地味で、その意味で退屈な曲だとも上川は思った。サビはオクターブ奏法(オクターブ違いの音を交互に配置するリズミカルな弾き方。)が用いられており、比較的楽だが、AメロとBメロや間奏のベースラインとタイミングはそれぞれ異なっており、覚えるのに一苦労な感じであった。そのうえ全く目立たないのだから不釣り合いだと彼は感じさえもした。

「これは相当面倒くさいぞ。」

上川の担当する、ベースという楽器は楽曲の低音部分を担い、曲全体に厚みを加える役割がある。その性質上キーボードやギターなど花型楽器に隠れがちになる、目立たないパートだ。そのような退屈さから逃れるため、ベースが主役となるような海外の曲やファンクロックを中心に聴き、コピーしてきたのだ。しかしながらそのような音楽嗜好は最近の若者の間にはやるメロコアやエモ曲とマッチするはずもなく、上川がバンド活動にいまいち夢中に取り組めないタネでもあったのだ。演奏曲に辟易して、代わりに彼は自分で編集したプレイリストを聞き出した。チャキチャキとした歯切れのいいカッティングギター、休符を生かしたファンキーなベース、何を言っているのかもわからない、が、実にノレる英語のラップ、グルーブ感たっぷりのナンバーに聞き惚れていくほど、先輩が提示する曲は亜流に思えてしまった。結局、ライブに向けた練習のやる気は出ないまま、その日は気に入った曲のコピーに精を出して終了した。次のライブまで3週間ほどであったが、1週間は各々の個人練習に充てると先輩から連絡があった。メンバーたちと合わせて練習するまでの7日間で仕上げる必要があるわけだが、これが上川にとっては一苦労であった。前述した技術的な難しさと精神面の不調に加えて遅々として進まぬタイミングや音の暗記が、焦燥感を募らせる結果となっていた。それでも依頼を引き受けたのだという責任感とステージに立てるという喜びを強く意識しながら隙間時間なども利用して楽譜と向き合い続けた。コピーのゴールを上川自身はグルーブ(ノリやすい感じ)を得られるかどうか、つまりドラムが刻むリズムを理解し、気持ちよく演奏できるかどうかと定めていた。曲をAメロ、Bメロと複数に分け、それぞれ何十回と音源に合わせることで彼はようやくその段階に到達しつつあった。最初は不承不承であったものの、フレーズを覚え、タイミングをつかみ始めると自然と足でリズムを取り演奏に全身を集中していた。依然として曲に合わせるのに必死なため、彼は気づいていたか定かではないがおそらく妙な気持よさも感じていたのではなかろうか。とにかく、なんとか上川は他のメンバーと合わせる段階に、一週間以内で一曲仕上げることができた。合わせは2日後、部室で行われることになっていた。

当然ながら音源と合わせることとバンド内で実際に一緒に演奏することは全く違うことである。全員がプロのプレイヤーであるわけではないから1,2回の通し練習だけでライブで演奏できる仕上がりに持っていけるわけではないし、そもそも演奏者それぞれが特有のリズムとクセをもつからそれらを探っていくところから始めなくてはならないのだ。今回のバンドメンバーは上川含めて5人、ボーカル、ギター、キーボード、ドラム、そしてベースだ。

これらの中で最も意識しなければならないのはドラムだろう。ドラマーと共にグルーブを生み出し、ギターとキーボードを支えることができなければバンドのピンッと張った演奏が一気にたるんでしまう。そうならないためにもこの2週間を大切にしなければならない。ライブへ向けた若干の緊張感と早く合わせてみたいという期待を抱いて部室の扉を開いた。上川が来た数分後にメンバー達が立て続けに入室してきた。全員がかなりの実力者であり、ほかにもいくつかのバンドを組んでいたため予定のすり合わせが難しいという話し合いが練習前に行われ、来週の、本番前最後の練習ではスタジオを手配することが決定した。チューニングやエフェクターの設定、ミキサーへの接続に15分ほど費やしたのち、合わせ練習が始まった。上川が意識すべきはドラム、特に表拍、裏拍両方を刻むハイハットである。途中、リフや展開を誰かが忘れて演奏が中断されることはあったにせよ終始リズムが乱れ、途切れることはなかった。演奏中、少し余裕ができてドラマー同士と目を合わせ、頷き合うこともあったため、リズムに関してはかなり安定したと上川は実感した。その感覚は練習を繰り返すにつれて増していった。

「すごくよかったよ、安定してて。」

ベースとエフェクターをソフトケースに閉まっていると、同回生のドラマーが微笑みながら語りかけてきた。

「まぁ、練習したからね。結構。」

軽くあしらうように上川は答えた。素直に喜びを伝えることができなかった。

「うん。まぁこの調子で言ったら本番で止まることはないだろ。」

あまり気にしてないというように、ドラマーは再び笑いかけた。事実その通りであった。むしろ今回のセッションで分かった懸念点はメロディー隊がフレーズを覚えているかどうかだった。発起人であるギタリストの先輩が覚えずにセッションしているのもどうかと、上川は若干嫌気が差したがドラムとグルーブウを感じることができただけでも収穫があったと思った。

帰り際、その先輩から呼び止められた。来週に行くことになっている練習スタジオは大学から3,4駅離れたところにある。実費で電車で行くことも可能であるが幸いにも先輩は車を所持しており、上川さえ良ければ大学から送迎してあげるがどうするかということだった。先輩の好意を無碍にするわけにもいかず、上川は先輩に送迎を依頼することにした。その日は夕方から日没ごろまで練習し、解散した。それからスタジオ練習までの1週間、上川もバンド活動ばかりやっておれず、大学のレポートやライブ後に控える定期試験対策に追われることとなった。それでも上川自身も不思議なことに、以前のセッションで得た気持ちよさを新鮮なままその心のうちに宿していた。そのような心持は彼に、本番に追われるよりも、本番を待ち望む態度を与えた。言い換えれば、早くバンドメンバーとセッションを重ね、そのパフォーマンスを多くの人に見せてやりたいという願望が強まっていった。奇妙なことに、彼は別の意味で焦燥感を得るようになったのだ。スタジオ練習は夜10時から2時間行われる予定になっていた。車でも地道で1時間かかるというので9時ごろに大学の駐車場で待ち合わせることになった。予定より10分ほど遅れて、先輩はキーボード担当の先輩を乗せて到着した。お金を払っているということで、スタジオに到着するや否や機材のセッティングはすぐに進められ練習はスタートした。1曲通してみて、全体としてまとまりだしたという感想を上川はもった。心地よささえ感じた。それは、リズムだけの、つまりドラムとベースだけの関係ではなく、全体を含めての問題だ。メロディー隊が以前よりもいきいきとしはじめ、一人一人がレベルアップした感じだ。しかし、バンド一つで見れば個人の魅力の総和を上回っていた。互いの息が合い、音が絶妙に絡まりあっていくという面白さ、楽しさがそこには確かにあった。

(よし、これならいける、人に見せれる。)

上川はスタジオを後にしてそう感じた。

帰りの車に揺られているとき、先輩から意外な一言を上川に放った。

「竹内君は楽しそうに演奏するねぇ。今回。」

自分でもわからなかった一面を言い当てられた。そんな気で引き受けた覚えなど彼にはなかったのだ。

(なぜ最初と今ではこうも心変わりしたのだろう。)

自分のアパートに帰ってからしばらく上川はベッドの上で考え込んだ。

(もしや、自分は大きな勘違いをしていたのではなかろうか。自分の好みのジャンルとは全く違う曲を、まるで同じように楽しみながら弾いていたというのなら、ジャンルはもはや問題ではないのではなかろうか。むしろ問題はどう、バンドメンバー達と楽しくやれるかにあるのではなかろうか。)

そう結論付けて今まで参加してきたライブを振り返ってみるとなんともったいないことか、と彼は思った。それと同時に無性にライブが楽しみになっていた。もはや現在の上川は逆に先輩のテンションを追い抜いてしまったかもしれない。

(明日は思い切り楽しもう。)

 

そう心に誓って、上川は布団にもぐりこんだのであった。