書評 「R62号の発明 鉛の卵」 安部公房著

 

これは安部公房によって書かれた短編たちをまとめた短編集であるため、ここでは「盲腸」と「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」の二作品を紹介していこうと思う。

 

「盲腸」

 

◎あらすじ

 世界的飢餓に直面した世界でその解決策として実験的に羊の盲腸を移植し藁を主食とする初の人間となった男の話

 

これは羊の盲腸を移植された人間が徐々に羊へと近づいていく様を描いているが、それらの描写にリアリティがあって、その骨格の変化や食事風景が眼に浮かぶようだった。移植された初日に400グラムもの藁を数回に分けて食べる所謂食事のシーンがあるのだが藁特有の匂い、そしてその噛み切りにくさのため何時間もかけて食べるという場面は食事というより一種の拷問のようにも思える悲惨さがあった。

 また、段々と思考までもが羊なっていきおどおどとした感情の起伏が少ない性格へと変化している。まるで頭の中まで羊になっていくかのようなその変わりようを彼本人によって淡々と語られているため気持ち悪さが際立っており、読むだけでどこかぞっとするような気がしてくるのだ。

 そして、世界的な飢餓に直面している世界観がディストピア的な雰囲気を漂わせているのだが、多くの人間つまり民衆たちはどこかまだ現実感がないような部分があり、変にパニックに陥っていないところまでも現実的だと思わされる表現となっている。後味ははっきり言って悪いのだがその独特の気持ち悪さそしてファンタジーのようだと表現するには何だか現実味を帯びている端々の表現に引き付けられる話となっている。

 

 

「人肉食用反対陳情団を三人の紳士たち」

 

◎あらすじ

 食用の人間たちとその人間たちを食べる人間たちが会談している話である。

 

 この話は、食用とされる人間たちの代表が人間を食べる側の人間(ここでは三人の紳士たち)に、同じ人間を食べるのをやめてもらうように陳情するというものなのだが、その議論の平行さ具合がはっきりと書かれている。そのため三人の紳士たちがなぜ人間を食してはいけないのか本気で理解できないということが伝わってくるため倫理観のなさというものが如実に表れている。彼らにとって食用の人間は私たちにとっての牛や豚と同じで被食階級に恐怖があるという事実は何となく理解できてもそれは、食人という問題ではなく自我がある生き物、豚であろうとある感情として取り合わないといった場面がみられる。彼らにとって人間を食べる行為は食物連鎖の自然な流れであり、自分たちのように人間を食べる階級があることに疑いがないのである。

 端的に言ってこれは倫理観や人道的という言葉が完全に破壊された世界である。そのため、そのような言葉が存在している世界で住んでいる私たちには彼らの頭がおかしいということは分かっても何処がどうおかしいのか正確に説明できないかもしれない。これを読んだ後、著者の倫理観に多少の疑問は抱くことだろう。また、自分の中で形成されていった“人間を食べることはいけないことだ”という当たり前のことがどれだけ曖昧な価値観の上に成り立っているか考えてしまう。私たちがほかの動物を食用の家畜として飼うように、被食階級は上流階級に食べられるために生まれ、給餌されている。ほとんど家畜と同じなのだ。それらと牛や豚などの他の家畜とどこが明確に違うのかはっきりと言葉にできなければ、あの三人の紳士たちに食人は非人道的行為であるとは言えないだろう。

 本編はたったの13ページととても少ないのだがその分量でこれほどの狂気を醸し出せ、私たちの倫理観を揺らがせるような話となっている。あまり軽い気持ちで薦められないが、ぜひ読後熟考してほしい話となっている。