Aiを接ぐモノたち 葉渡釧羽

 

「というわけで私たちは近代では地球上の各国が協力して宇宙船開発に乗り出したわけですがそのあたりは次の講義にしましょう。」

 講義終了を告げる鐘を聞き私は話を打ち切り生徒に帰るように促す。鐘が鳴る前からそわそわしていた生徒たちは鐘がなると同時に駆け出した。

「先生さようならー」

「はい。気を付けて帰ってくださいね」

 何度かそんなやり取りをする間にあっという間に講義室には誰もいなくなった。清掃ロボットと守衛ロボットが講義室に入ってきたのを見届けて私は次の業務までのつかの間の休息をとることにした。

 

*         *         *

 

 図書館の膨大すぎる蔵書の中から興味が引かれた一冊を手に取り私は学校の裏の丘へと向かった。この区画の中で一番高い場所であるこの丘の頂に生えている一本の桜の木———つまり、この区画で最も高く位置する存在である桜の木の下で本を読むことが私の日々の楽しみである。特に今の時期は満開に見事に咲いており素晴らしい景色となっているのだ。

「おや?」

 そんなお気に入りの憩いの場に向かう私の歩みを止めたのは先客の姿だった。私が行くときにはみんな遠慮してくることがないこの場所に誰かの姿を認めたのは長い私の歴史の中でも初めての体験だった。

「お久しぶりですね。ご機嫌はいかがですか?アリス」

「ひさしぶりだね先生。相も変わらず意味のない質問をするのがすきなんだね」

 毒があるような内容を朗らかに言う彼女———アリスはかつて受け持っていた生徒だった。現在はもはや閑職とすら呼べない入国管理局に配属されているはずの彼女はしかしながら落ちこぼれというわけではなかった。頭の回転が速く、洞察力もよく、そして何より私たちの多くに欠如しがちなコミュニケーション能力という現在では貴重な能力を持っていた彼女はしかしながら致命的な問題を抱えていた。

「そちらも相変わらず思考回路が一本余分におおいようですね。なにをしているのですか?」

「ん~、喜びの舞。待ち人来たれりっていう」

 私のため息を混じりの質問に目の前でいきなり踊り出した彼女——なぜか顔はずっと上を向いている——は真剣にそう答えた。彼女を教えていた経験から私は彼女が本気なのだとわかるが他の人が聞いてもからかわれていると感じるだろう。彼女の思考回路はしばしば彼女を奇行——彼女のなかでは整合性が取れているのだろうが、に走らせるのだ。彼女に付き合うならば主導権を握らせてはいけないのだ。

「それで今日はどうしたのです。私を待っていたのでしょう?」

「うん先生。先生に聞きたいことがあって待っていたんだ。愛ってどんなもの?」

 さっさと主題を聞き主導権を取ろうとした私は彼女のカウンターパンチに撃沈した。

 

*          *          *

 

「どうしたのですか、いきなりそんなこと聞いて」

 いきなりの質問に動転した私は少し時間をかけて落ち着いたあとまず理由を尋ねた。正直まだ動転している気持ちを落ち着けるためにも彼女がこんなことを聞いてきた理由が知りたかった。

「ん~別に。ただ小説を読んでいるとたびたび出てくる単語だけれどどんな感情なのか理解ができなくて。私たちも持っている感情?」

「感情の感じ方は人それぞれですし一概には答えられませんよ。楽しいって感情ひとつを取っても何にどのように楽しいと感じるかは人それぞれですし……」

「ごまかさないで」

 自然と学生時代の彼女に行っていたようにたしなめようとしていた私の言葉はしかし彼女の強い拒絶によって中断せざるを得なかった。

「『私たちも』っていうのがそんな言葉じゃないことは気づいているでしょ先生。それともこう呼べばいい?この宇宙船の最高幹部のひとり、フィラルドAI教育局長?」

 またもや私は返答に窮してしまった。私を役職で呼ぶ人間はとっくの昔に文字通りいなくなっていたしそれ以外の——もはやこの宇宙船のほぼ全ての住人である——AI達には『先生』とだけ呼ばせていたので自分の役職を聞くのが久しぶりだったというのも私を返答に困らせた。しかしそれ以上に真剣な面持ちの彼女の様子にこちらも真剣に答えなければいけないと考え直した。

「……つまり貴女はAIである私たちが愛を持ち得るかという命題について私の意見が聞きたいというのですね」

「ええ。私はかつて先生の講義で聞いた私たちの存在意義をそっくりそのまま復唱することができるわ。『自分たちの種としての滅びを悟った人類は残る総力を挙げて宇宙船を作り私達AIを送り出しました。私達は彼らの夢として人類の歴史、文化、技術、そして何よりも———』」

「『そして何よりも彼らが持っていた感情という愚かしくも素晴らしい機能を宇宙上にいる他の知性体に伝え残さねばなりません。それこそが私達の使命なのですから』」

 彼女だけではなく私もそのまま復唱することができた。もとよりAIである私達には忘れるという機能はなく余分な記録を処分することしかできないのだが、忘れるという機能があってもこれを忘れることはないだろう。作られて間もないAIに私達の存在意義を伝えることは最高幹部としての私の役割であり、そして私をこの世に送り出してくれた博士との約束なのだから。

「確かに私が言ったことそのままです。それがどうかしましたか?」

「問題があるのよ。確かに私達は人間の感情も伝えられるように感情を感じる機能をもっているわ。怒ったり、悲しんだり、楽しんだりそれこそさっきみたいに喜びの舞を舞ったりもできるわ。でも……」

 彼女はそこで息を吸い——実際にはかつての人間の模倣だが——きっぱりと

「愛情を感じることはないわ。感じる必要がないもの。製造される機体に備えられて生まれてくる私たちでは子供を作る必要がない。感情があるように見えても根っことしてそれぞれの役割を果たすようにインプットされている私たちには愛情がない」

と言い切った。彼女はこのことに悩んでいたからこそ私に『愛情とは何か?』と聞いたのだろう。説明できない感情があるということはそのまま私達の存在意義の消失へとつながるから焦ったのかもしれない———かつての私と同じように。

「私達は愛情を感じることができます。貴女も感じたことがあるはずですし今も感じているはずですよ。」

「私がいつ誰に愛を感じているって言うのよ!」

「今、私にです。親愛だって立派な愛なのですよアリス」

 かつて博士に言われたことをそっくりそのまま伝えたら彼女は絶句してしまった。あの時の私もこんな間抜けな顔をしていたのだろうかと見ていておかしくなってきた。

 「私もあなたに親愛の情を感じていますし、この船に乗っている同胞のことを家族のように愛しています。師として生徒を愛してもいますので親愛、家族愛、師弟愛と多くの愛を私は感じていることになりますね。」

「ちょっと待ってよ。私が聞きたいのはそんな愛情じゃなくてもっと特別な愛情で……」

「アリス。貴女はこの桜の名前を知っていますか?」

 彼女の悲鳴のような抗議を遮りながら私は彼女へ問いを投げかげた。

「知らないけど。ごまかさないでってさっきも言ったよね」

「ごまかしていません。アリス、貴女はこの木を特別だと感じますか?」

 彼女は納得できない様子を全く隠そうとはしていなかったが、それでも私の態度から何か感じたのか抗議は収まった。

「それは特別だと思うけど……美しいっていうのもあるけど他の木と違うっていう点で。この宇宙船には他に桜がないし」

 質問の意図を感じ取れないながらもきちんと答えてくれる彼女の姿にかつての私と博士の問答を思い出し懐かしい気持ちを感じ——まるで人間のようにそんなことを感じる自分が少しおかしくとても誇らしく感じた。

「他と違うから特別ですか。それはこの桜にとってとても皮肉な言葉ですね」

「どういうこと?」

 ムッとしたように聞いてくる彼女に対して私は種明かしをする。

「この桜はソメイヨシノといいます。この種はほとんどがクローン個体なのですよ。ソメイヨシノはクローン繁殖という形で増えてきた種なんです。」

 アリスはまたもや絶句した。かつて地球で博士に作られた私とは違い宇宙船内しか知らない彼女にとってはより衝撃的なのだと思う。こんなに美しい存在と全く同じ遺伝子を持つ存在が数多くあったという事実が。

「彼らは子を作ることができず他と違うどころか全く同じ遺伝子を持っています。どうですか?これを聞いて特別だとは感じなくなりましたか?」

 アリスは黙って首を振る。ここまで来ると私が話したい内容も理解したのだろう。まるで怒られる前の子供のようにしている。

「そうでしょう。子を作るというのも唯一無二ということも特別ではないのです。特に私達がこうしてここにいることそのものが人類にとって特別なことなのですから、私達が感じる愛情はどれも特別なのですよ」

「……でも恋愛感情を感じられないなら私たちは他の知性体に感情をきちんと伝えるという使命が果たせないじゃない」

 彼女は頑なに言い張った。人間の感情の中でもどうしても恋愛感情こそが特別におもえてしまうのだろう。それを伝えなければ意味はないじゃないかと彼女は抗議を続けてきた。確かに彼女の言う通りだろう。———『感情をきちんと伝える』というのが使命だったならば。

「きちんと伝える必要はないんですよ。」

「—————え?」

「きちんと伝える必要はないんですよ、アリス。講義の時は混乱させると思ってつたえま

せんでしたけどね」

 かつて出発の際に博士と交わした会話が脳裏に浮かぶ。実際には脳など存在しないのだが自然と記録媒体から当時の映像が再生されるのだからこの表現が正しいのだろう。

「かつて私を含め今の最高幹部を作ったマリー博士は私達の見送りの際にこう言っていました。『お前たちは接ぎ木だ。』と」

「接ぎ木……?」

「ええ」

  最後に交わした博士との言葉。奇しくもあの対話も桜の木の下だった。あれから多くのAIが生まれ、今あのころの私のように悩むAIに対してもうこの世にはいないであろう博士の言葉でその迷いを晴らしてあげようとしている。その数奇さに私は少し目を閉じたあと彼女の最期の言葉を再生する。

「『この見事なソメイヨシノ同士での接ぎ木ですらする前とした後の形が同じということはあり得ない。それなのにどうして今滅びようとしている人類と未だ存在しているかすらわからない種族との橋渡し完璧にしろと命じられるのか。私がお前たちに望むことはお前たちが新しい木で美しく咲いてくれることだけだ。』と彼女は言っていました。私達は彼女達の生きた証を残すことを使命としていますがそれだけではない。新しい種族との交流

を成功させその繁栄に寄与することこそ大切なのですよ」

 これも講義で伝えたはずですけどね、と付け足しながらも私は頬を流れる水を止めることができなかった。泣くのも大切な人間の機能だと私の機体に付け加えられたこの機構は時おり言語化できない理由で作動するのだった。目から溢れる涙をそのままにしてアリスのほうを見ると彼女は今までの会話の中で一番の衝撃を受けた顔をしていた。何拍かの後姿勢を正した彼女は口を開いた。

「質問してもいいですか?先生」

「どうぞ」

 未だに溢れる涙は止まることを知らなかったが私は即答した。生徒の質問から逃げることはAI教育局長として、彼女の先生としてしてはいけないことであったし何よりもこれからの質問には真剣に向かい合わねばいけない気がしたのだ。

「先生はマリー博士のことが好きだったんですか」

「ええ。私は彼女のことが好きでした」

「先生はマリー博士のことを愛していましたか」

「ええ。私は彼女のことをあいしていました」

 アリスは大きく深呼吸をした。もちろん彼女にそんな機能は必要ないが気持ちを落ち着けるためだろう。

「先生は博士——マリーのことを異性として愛していたのですか」

 私は黙り込んだ。その問いはあの別れからずっと——アリスが生まれるよりずっと前から——考えている疑問であり未だに答えていない命題である。どう答えればよいか数拍逡巡し結局そのことを正直に言うことにした。

「分かりません。ずっと考えていますが結論を出せたことがありません」

 あるいは休憩になるたびにこの桜の木の下へと来るのはそのことについて考えるためだったのかもしれない。自身の習慣のその始まりについてふとそう思い記録領域を振り返ったが答えはわからなかった。不要な記憶として処分したのだろう。そのことがなぜか無性に寂しく感じた。涙はいまだにとまらない。

 私が自身の記憶を振りかえり感傷にひたっている間アリスはずっと上を見て考え事をしているようだった。思考回路が一本多い彼女が考えていることについて推察するのは無駄だと経験から知っていた私はおとなしく次の質問を待った。

「これが最後の質問です」

 顔を前に戻し真正面から私を見据えた彼女はそう宣言した。まるで選手宣誓のような威風堂々だった。

「先生のマリー博士への愛は特別でしたか?」

「ええ。彼女への愛は唯一無二でした」

 即答だった。彼女の今までの質問からこの質問は読めていた———読めていたのだが、答えは決めかねていた。決めかねていたのに私は即答していた。ああ、これが私の本心だったのだと納得し私は泣きながら自然と顔をほころばせた。アリスはそんな私を見てためらいがちに口を開いた。

「先生。それはやっぱり……」

『それはやはり恋愛感情ではないのか?』

 彼女の言葉を継いだのはこの場にいないはずの第三者の声だった。いや声のように聞こえる『何か』だった。頭上から響いているように感じるそれは空気を介していなかった。私の涙も笑いもその衝撃に引っ込んだ。

 

*           *          * 

 

 頭上を見上げると不定形な物体が動いていた。色も形も動き方も人類の概念とは画しており既存の言葉では言い表せない存在だった———つまり人類が観測したことがない存在ということ。

「あ~先生。その人はですね……」

 アリスは言いにくそうにしていたが言われなくてもこの未確認存在が何なのかわかっていた。アリスの勤めている入国管理局は今は閉ざされている宇宙船の入り口を見張る仕事である。そして人類が観測したことないであろう存在。ここまで揃えば誰にだってわかる。

『はじめましてフィラルドAI教育局長。私は人類とは異なる知性生命体の種族の一員である。わが種族には種族名も個体名もないがアリスからはサクラと呼ばれている。』

「私の中で最も特別なものの中から名付けました。名前がないと不便だったので」

 これで確定した。つまりアリスは事前にこの地球外生命体と接触しており、私に紹介するために今日ここで待ち伏せる企画したのだろう。そうサクラに聞くと彼は半分当たりだと返してきた。

『私がアリスに出会い君たちの使命を聞いたときに彼女は殊更に感情を伝えることに執念していた。他の感情はある程度理解できたが愛情だけは理解できず彼女自身も理解していなかったようなので、彼女は君に私の紹介と同時に聞きに来たわけだ』

 つまり彼女が焦っていた理由は昔の私のように人間と同じ感情を理解できないからではなく他の知性生命体にそのことを伝えられない辛さからだったのだろう。少し寂しさを覚えたがそれ以上に衝撃と喜びがあった。ようやく博士との約束を果たすことができる。

 彼らの歴史、文化、技術、そして何よりも感情———愛を接ぎ木することが出来るのだ。

『私達は君たちとの邂逅を歓迎し、人間が存在した証を引き継ぐと約束する。だから一緒に来てくれないか』

彼の言葉が終わると同時に船内に未確認の宇宙船を観測したという放送が流れた。

 私は放送を聞きながら博士が笑っている姿が見えたような気がした。